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  5月5日 国際列車 ロシア側


●グロデコボ ロシア入国

 ロシア側のグロデコボには、10:45に到着した。といっても列車が停車したところは、待避線でホームもないところである。
 まだ列車のドアには鍵がかれられ、入国審査が終わるまでは外にでられない。

 ロシア時間に合わせるため、時計を3時間進める。
 日本時間よりも、2時間も早い。
 日本より西にあるくせに2時間も早いなんておかしいだろう...と思いもするが、そういうことになっているのだからしょうがない。
 しかし、飛行機に乗って長距離を移動したたわけでなく、列車で山一つ越えただけで、3時間も進んでしまうのは変な感じだ。

 列車が到着して30分ほどすると、入国審査のためロシア人審査官が列車に乗り込んできた。
 コンパートメントで待っていると、まず1人目の審査官がはいってきた。
 パスポートと入国カードをみて私が本人であることを確認すると、その審査官はパスポートと入国カードを持っていってしまう。
 次に荷物検査。私のバックは小さく、かつ審査官は怪しそうな奴ではないと判断されたのか、荷物自体はノーチェックであった。が念のためか規則上そうなっているのか知らないが、コンパートメントのベッドの裏や、天井などを寒中電灯と使って調べていた。
 もちろん問題はなし。
 ほかの係官は、通路にしいてあるカーペットをはがし床下の格納庫みたいところ調べていた。
 また窓の外には、列車の下に潜ってチェックしている係員も見えた。なかなか念入りである。もう変な物を持ち込ませないぞ、という意気込みが感じられた。
 最後に税関申告。ここでは書類1枚とられてあっという間に終り。そしてまたずっと待つ。
 30〜40分くらい待っていると、審査官がきて入国印をおしたパスポートが返された。


 これでやっとロシアに入国したことになる。
 といっても、列車のドアの鍵はかけられたまま、外にはでられない。
 しばらくすると、列車は動きだし、貨車置き場のような引込み線に移動し止まり、ここでやっと列車を降りロシアの土を踏むことができた。


●グロデコボ 台車交換
アームで持ち上げられた客車
クレーンで運ばれた台車を取り付けるところ

 線路のレール幅は、中国は標準軌の1435mmであり、ロシアは広軌の1524mmのため、ここを通過する列車は台車を交換しなければならない。

 ここグロデコボで、その台車交換の始終が見られるとあって期待していた。
 さてどのようにして台車を交換するのか?私は3本の線路があるところで列車をつり上げ、つり上げている間に台車を交換するか、つり上げた列車自体を別な線路に移動させるか、そのどちらかであろうと思っていた。がそのどちらでもなかった。

 貨車置き場のような引込み線に入った列車の脇には、アームがついている柱のようなものがあった。
 列車が停車すると作業員が、このアームを客車の下に差し込み、また別な作業員は列車の下に潜り込み台車をはずす。
 台車を外し終わると、ガガガガガッと客車の下に差し込んだ4本のアームによって客車を持ち上げる。
 そして線路の残った台車を引き出し、クレーンで運び出し、そのかわりに広軌仕様の台車をクレーンで持ってきて線路にのせ、台車を客車の下の移動した後、こんどはアームをさげ、さげた客車と台車を固定する。
 これで台車交換は完了。
 台車交換所での線路は2本。
 別に客車自体を移動するわけでもなかった。

 台車交換前と後で線路と車輪のようすを確認すると、交換前はフランジはレールから離れていたが、交換後は接触していた。
 標準機・広軌のレール幅約10cm分を、車輪の面部分で補うことで、台車は交換されていたのだ。


標準軌台車(交換前) 広軌台車(交換後)





運び屋さん活躍
●運び屋さん

 引き込み線で台車を交換しているあいだ、荷物をどんどん運び出しているやからがいた。
 こやつらは、寝台車両の乗客ではない。
 かれらは綏芬河から乗り込み、グロデコボまでの移動中、隣に連結させた一般車両から、寝台車両の空きコンパートメントに、荷物を移動させていた連中である。
 国境区間をはしる列車の通路を、でかい荷物を持って何度もいったりきたり、うざく、写真をとる私のじゃまになってくれた。
 なぜ荷物を一般車両においたままではいけないのか?どうして寝台車両に運びこんでいたのか? こうして荷物を運び出すさまを見ると、うまく逃れるすべだったかと思うが、そうすると先ほどの審査官による荷物検査はなんだったのか?などといろいろ想像してしまうが、よくはわからない。
 ま、いろいろ事情があるのだろう。
 運びだされた荷物は列車わきに乗りつけた車数台に乗せられ、またどこかへ運びだされていった。



グロデコボ出発


 台車交換は16:30頃終了したが、作業が終わっても客車はしばらくそのまま放置されていた。
 17:15頃ディーゼル機関車連結され、引込み線から本線に移動し、グロデコボの正式のプラットホームのあるところに停車。
 そして、グロデコボ駅は17:35に出発する。

 ここを出発した時点で寝台車の乗客は、私のほか2〜3組になってガラーンとしてしまった。
 列車のスピードは遅く、また、先ほどのグロデコボもそうだが、次のウスリースクでも長時間の停車となるから、急ぐ人々はグロデコボから車で先に向かってしまったようだ。


ウスリースク

 シベリア鉄道本線と合流するウスリースク駅には、20:20に到着する。
 グロデコボからの列車は分割され、私の乗っている車両は明日朝までここに停車し、明日ハバロフスク方面からくる列車に連結され、ウラジオに向かうことになる。

 停車時間は十分ある。
 駅周辺の散策をかね食事にでも行こうと駅の外にでようとしたが、車掌に「ポリスがいるから...」と止められる。
 しかたないので、プラットホームにあるプレハブ作りのしょぼいレストランで食事をとる。
 食事といっても、プレハブレストランなのでたいしたものはない。
 電子レンジで温めたピロシキとスープとジャガイモの料理を食べたが、当然おいしくない。が、それでも買い込んであるパンやカップラーメンよりましであったと思う。

 食事が終わりレストランをでると、ホームにこれまで乗っていたウラジオ行きの車両が見あたらない。
 車掌は左のほうに車両を移動すると言っていたので、そちらのほうにいってみる。が、プラットホームを越えてさらに先にいってもない。
 どこだ、どこだと探していると、哈爾濱からここまで一緒だったハバロフスク行き車両が機関車にひかれて移動してきた。
 この機関車がとまったところで運転手にウラジオ行き車両はどこにかるか?と尋ねると、左のずっと先だという。ということで先ほど探したところから、さらに先までいってみたが、やはりない。
 おかしい...駅員らしき人に何人か聞くが、言葉はわからず、そんな車両のことは知らないのか、また相手するのも面倒くさいのか、無視される。
 ずっと無視され続けると、さすがに心配になってきた。
 案内係や作業員のような下っ端の駅員ではダメだ。
 キリッとした制服着こなしたエリートっぽい駅員を探し相談すると、さすがに相手をしてくれた。
  私 :ウラジオ行きの車両はどこか?
  駅員:ずっと左側の先だ!
  私 : さっき行ったが見つからない。
  駅員:もっと先だ、線路に沿って壁があるだろう。この壁の反対側に車両があるから壁がとぎれるまで先に進み戻れ。
ということで、そこにいくとポツンとウラジオ行き車両があった。

 しかしプラットホームのとぎれた先から、さらに5〜600mもいったところとは...客車探しに行ったり来たり1時間くらい費やしてしまった。
 列車の出発は明日の朝と知っていたから、あせることはなかったが、しかしまぁ疲れた。
 あたりはすでに暗くなってしまった。
 列車のドアは閉められていたので車両をガンガンたたくと、車掌が面倒くさそうにあけてくれた。

 夜は動かない寝台車の中で過ごす


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